フレキソ印刷と共に50年 明昌です
2月12日午前7時15分、弊社の社長が亡くなりました。私の大切な母です。
ここでは敢えて母と言わせて下さい。
昨年10月下旬から発病し、わずか4か月でした。
病名がわかったのは11月下旬で、その時には既に余命もわかっていました。でもそれよりも病気の進行が早く、今年2月にホスピスに入ったところでした。
母は嘘が大嫌いで、私に「自分のことで隠し事はしないで。」と言っていたので、病気は治らないこと、助からないことを伝えなければなりませんでした。でも余命は伝えることができませんでした。私が考えていることは全てお見通しの母は、きっと全て承知していたと思います。
娘として、この現状で母に何ができるのか。それは母の希望通りのことをする。それだけでした。
痛みに耐えてきた母は、「これ以上苦しいこと、痛いことは嫌だ。」と言っていました。私は母の痛みや苦しみを取ることしかできなかったのかもしれません。
娘としてできることなら、花嫁姿を見せてあげたかった。孫を抱かせてあげたかった。二人で旅行もしたかった。のんびりお茶をしたり、ウィンドウショッピングもしたかった。そんな思いが拭いきれません。
母が亡くなる4日前から、私はずっと母のそばにいました。母といろんな話をしたり、笑い話をして笑わせたり、母の髪をとかしたり、お化粧をしたりしました。母のしたいことを全てしてあげたかった。私にはそれしかできませんでした。
母が亡くなった後、母は笑っていました。葬儀の手続きや、病院とのやりとりでバタバタしている私に、「頑張ってよ。」と言っているようでした。私はその笑顔を見て、死んでもなお、私を励ましていると思えて、母の大きさに再び気づきました。
今日、告別式を終えて、母は小さくなりました。母の姿は見えませんが、そばにいるのを感じています。
寂しくて寂しくて仕方ありません。でも、頑張れる気がしています。私は母の血をひいていますから。
いつも母が見ていると思って、これからも頑張っていきます。
お忙しい中、母の葬儀にご参列下さいました皆様、弔電や供花を下さった皆様、本当にありがとうございました。心より御礼申し上げます。
これからも頑張りますので、ご支援のほど宜しくお願い申し上げます。