企業理念
『明日を見つめて 明日を拓く』
明昌株式会社は、創業者からの積み重ねてきた知識や日本のフレキソ印刷の普及・発展の思いをもって印刷現場のお客様に寄り添い、お客様のお困りごとに目を向けながら、未来のフレキソ印刷の発展に向けた商品開発や日本のお客様に合った海外商品の発掘をし、お客様の実現したい未来へ一緒に歩める企業を目指して印刷現場の『明日』に貢献します。
スローガン
お客様を「ええなぁ」でいっぱいにする!
会長メッセージ
私の夢 〜明日を見つめて、明日を拓く
1954年、昌英製版所を創業した当時、活版印刷の経験を生かし、フレキソ製版の知識と理論をもとに、直角彫刻法を開発いたしました。曲面研磨をすることで、重袋用クラフト印刷におけるインキのマージナルゾーンを解消し、美しいフレキソ印刷の高品質化に成功したことがきっかけで、フレキソ印刷にのめり込み、フレキソ印刷業界に情熱を燃やすこととなりました。
1960年、エポキシ性樹脂による液体樹脂製版技術による「液体樹脂製版技法」を開発、直角彫刻版をオリジナルとした鋳造複製版と共に、多層(三層)構成の印材(特許)を開発。その後、低硬度クッション効果を発揮させることで、粗面紙、剛体面、段ボール印刷のウォッシュボードに版面をフィットさせる印刷の開発に成功しました。
三菱ラングストン印刷機第1号機で、サントリーの新トリスキャンペーンにおいて、段ボールフレキソ印刷の高品質化を再現、国内第1号の印刷革新に成功致しました。
この成果が認められ、通産省主催の第9回包装合理化展で、大阪府知事賞を受賞することとなりました。
1975年、製版技術と周辺機材を調和させることによる、フレキソ印刷品質の相乗的効果を目指して当社を設立。海外情報や製版機材、クッションテープ、インキチャンバー・ドクターブレードシステム、アニロックスロール、クリーニングシステム等々の新製品を導入して参りました。
現在まで、更なるフレキソシステム普及のために、「高品質フレキソ印刷、トータル技術のパッケージ」とインキング周辺システムの調和と条件をテーマとして、「明日を見つめて、明日を拓く」をモットーに努力し続けております。
世界の中で、最も素晴らしい日本の印刷を誇りとして、近い将来、必ずや、日本発信の素晴らしいフレキソ印刷が発展することを希っております。これが私の夢です。
取締役会長 宮﨑 利男
沿革
1954年 宮﨑利男が昌英製版所を大阪市大淀区本庄川﨑町で開業
1956年
昌英製版株式会社に改組し、大阪市淀川区中津浜通りに本社及び工場を設置。宮﨑利男が代表取締役に就任。
1957年
大阪市福島区に福島鋳造工場を開設。
クレハゴム工業(株)とエポキシ性樹脂による母型成型版「SS製版」を共同開発。
1960年
液体樹脂母型成型法「SS製版」開発を発表。発売開始。
直角彫刻法に基づくSS版は、サントリー㈱の新トリスの第1回キャンペーンの段ボール包装印刷に採用され、レンゴー㈱の三菱ラングストン製印刷機の導入1号機で印刷された。これによって、松下電器産業㈱をはじめ、各電機業界、酒類業界、化粧品業界など様々な業界に波及し、包装印刷の普及と革新に貢献した。
1962年
通産省主催、第9回包装合理化展で大阪府知事賞を受賞。
1965年
大阪市淀川区十三で活版印刷工場を買収し、合同印刷製版㈱を設立。
1974年
米国・コダック社フレキソ印刷工場視察・技術研修。
1975年
大阪市大淀区長柄中通に明昌株式会社設立。貿易業務開始。
米国のフレキソ事情やアニロックスロールとフレキソ製版の相関技術の指導を受ける。
1978年
米国・リビアグラフィックス社(現Luxfer社)と代理店契約。輸入販売開始。
マグネシウム版・銅版などエッチング用資材の輸入販売。
1992年
ドイツ・ローテック社(現XSYS社)とスリーブ・アダプターの代理店契約・輸入販売開始。
2005年
ファインクリーン洗浄システムとして、自社ブランドを立ち上げる。
2008年
ニューオートスクラバーW型の特許取得。
オランダ・エイペックス社とアニロックスロールの代理店契約・輸入販売開始。
2009年
代表取締役 宮﨑 丹美 就任
2013年
創業60周年
2015年
新本社ビル完成